仮の姿が作れる時代になったなと思う。2015-11-15 23:28:13

どうも、下田です。

ブログの下書きを見ていたら、なんか面白そうなことが書いてあったので、公開してみようと思う。2015-11-15 23:28:13に書いたブログみたいです。当時はオラオラだったから、主語がオレになっている。

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SNSに投影される、人のイメージ

最近思うこと、その人の本来の姿や想いってどこにあるんだろう?ってこと。

この時代、SNSの隆盛にあずかり、人と人とがリアルに接していなくとも、誰かとつながっているような気持ちになることができるようになった。FacebookInstagramTwitterなどで自分を表現できる場が昔と比べて格段と多くなったのは、みんなも知っての通り。

しかし、自分のライフスタイルというものを発信していける時代になったと同時に、仮の自分も簡単に作り出せる時代になったとも思う。

自分事の話になるが、オレは今SNSを通じてイベント関係を主として様々なことを告知している。そうすると、普段会うことのない人からすれば、毎回イベントとか楽しいことをしているリア充だよねとか、パーティーピーポーだよねとか言われる。別に嫌とかそういうわけじゃない。でも実際は土日で家から一歩もでないこともあるし、ただ職場と家の往復を繰り返す週もある。そういう生活をしているにも関わらず、SNS上でしか接することがない人はそういうイメージを持つ。

話がそれたが、SNS上の世界はそういう世界だって頭に入れておかないとなんだか疲れてしまうんじゃないかと思ってる。SNSは本来の姿を投影したものではないってこと。

Pray For France

今日朝起きて、Facebookも見たらみんなのトップ画がトリコロールになっていて驚いた。こういうことが起きると、被害にあった人を本当に祈っているのかとかなどという議論がなされる。しかし、当の本人たちからすれば、そんなことはどうでもいいことなのではないか。そういう想いが本当にあるかないかという議論は無駄だ。これは一種の、ちょっとしたムーブメントとして捉えるしかない。Facebookの誰かが「これをやろう」と考えて仕組みを作って、それに対してボタンひとつであたかも祈っているかのようにさせる機能がそこにあったから参加してみただけのことだと思う。そうすれば、自分も善良な市民の1人として名を連ねることができるから。

オレの中には色んな想いがあるが、これらの行動を否定しているわけではない。だってこれが今の時代における表現の仕方の中心となっているから。もちろんオレだってその渦に巻き込まれているし、それを利用している1人だ。

SNSが生活の一部になって変わったこと

オレは個人がする一つ一つのいいね!やシェアとか、投稿に文句を言っているのではない(実際それは個人の自由だ)。ただ、伝えたいことは、SNS上で起きていることはその人の時間を切り取った一端であって(もしかしたら一端でもないかもしれない)、その人の全てを投影したものではないっていうことだ。

昔から人の本来の姿も知るっていうのは難しいことだ。本当の自分を知っているのは自分自身しかいないし、自分自身も知らないこともある。これは現時点では昔から変わらないことだと思う。

では、何が変わってきたか。

それは仮の自分が創ることができるようになったことだ。たまに投稿する自分が本当の自分のように扱えるようになったことが大きな変化にだと思う。Pray For Franceだってそういう機能がなければやらなかったことも、一つの企業による施策によって自分も参加できるし、そういう想いがあるんだって伝えることができるようになり、そしてその自分を他の人に発信できるようになった。

さらに、常に楽しい人生なんてない。誰にだって1人でさびしい夜もあるし、仕事で打ちひしがれて泣きたい日もある。でもそんなことを友達や同僚、上司には知られたくないし、ましてやいつまでも残るネットになんか投稿したくないのは当たり前のこと。

簡単に自分を表現できるようになったからこそ、投稿する側は自分の表現の仕方を考えていかなければならないし、見る側は本当にその人がそう思っているのかを精査しながら受け取っていかなければならない時代になったんだと思う。そう考えると、SNSってめんどくさい。

SNSとのかかわり方を考える

なぜ、そうめんどくさくなってしまったか。それはSNSが生活の一部でなくて、生活の中心になってしまったからだ。事実最初に述べたオレのイメージが構築されたのもそういう理由だと思う。

本来、SNSはリアルがあってその脇で自分を表現してくれるものであったはずなのに、環境が変わっていくたびにかかわる人が増え、それこそ一回会っただけで顔も覚えてないような人も友達(フォロワー)に追加されていく。

そうなってくると、そこでしかかかわることがないひとばかりだから、投稿=その人自身になってしまい、伝えたいことも簡単に伝えられなくなってしまった(Facebookに関しては実名主義なのもそれを拍車をかけている)。その結果、自分が伝えたいことよりも、みんなから共感が得られるようなことを投稿するようになった。SNSの鎖につながれて、ちぎる力がなくなってしまった。

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今年読んで、よかった本

どうも、下田です。

今年も終わりだ。3月くらいから思い描いていた2020年とはかけ離れてしまって、やばいやばいと生きていたら、2020年が終わった。2021年もきっとすぐ終わるんだろうな。こうやって毎年毎年年末に年の終わりを憂うのはそろそろやめたいなと思いつつ(あと何回繰り返すんだって思う)、でも区切りあるというのは何かを振り返るいい機会だなとも思い、12月を過ごしています。

なんか今年やってきたこととか、来年の意気込みとかを書きたいなとも思ったけど、それはだいたい自分にとっては10YCそのものでしかないので、そんなことは10YCのブログで書こうと思っている。

そうなってくると個人的になかなか書くこともないから、このまま年越してもいいかなとおもうのだけど、1年に1回くらいはこのブログを更新しておきたいなとも思っているので、何かを書くことにしたい。前置きは長くなる。題名に関して触れるのはまだ先になる。早く紹介しろよと思われるかもしれないが、自分にとって書くということはなぜ書くのかが大事で、何を書くのかはあんまり大事なわけではないので、こうやってうだうだとだべっている。

2020年は他人の自分からは見えない思案というものについて考える日が多かったような気がする。なぜあの人はこういう行動をしたのか、なぜあの人はあんな発言をしたのか、なぜある言葉をそう汲み取ったのか、なぜ座ってトイレをしないのか。

なんでそんなことを考え始めたかを考えてみると、今年はこんな状況になったので、一人ひとりが自分、そして自分の周りの人やモノを守るための防御態勢を急激に作らないといけない状況になったのが影響していると思う。そういう状況下の中で、客観的な意見よりも主観的な意見が、理性的な発言よりも感情的な発言が増えてきたような気がしていて、表面的な言葉の向こう側にあるものをできるだけ、想像して受け取らないと整理が付かない状態になってしまうんじゃないかという危惧があったからだ。

その背景には、インターネットと触れ合う時間が増えたというのもあるような気がしている。コロナ前では当たり前だった、リアルのコミュニケーションの時間も少なくなり、パソコンやスマートフォンに向かう時間が多くなった。人と深く話す機会は減り、誰かが発した表面的な言葉を受け取る機会は格段に増えた。TwitterFacebookを開けば何かを暗に伝えているテキストや怒っている姿、インターネットニュースも自分たちの有利な部分だけを切り取ったものが目の前を過ぎていく。それはどれも表面的で断片的なもの。そのまま受け取り、右往左往して決断ができないことも3,4,5月くらいはかなりあった。だから、ちゃんと行動の向こう側を想像することや推し量ることを大切にしようと思ったのかもしれない。深く知ると、行動ほど違いがなかったりする。

そうやって過ごしていくうちに、行動そのものを知るよりも、行動に至るまでの思案の過程を知るほうが大切な気がしてきた。行動するまでに人は、いろんなことを考えている。こっちのほうがいいんじゃないか、本当にいいのか、他の人にも聞いてみよう、だったらこっちのほうがいいのかもしれない。そうやっていろんなことを考え、決断した結果、行動が起きている。でもその考えてきたことは説明しない限り、その背景は相手には伝わらない(伝えたところでわからないかもしれないし、伝えられる量でもないかもしれない)。だから今年は、そんなわざわざ人に聴かれないと喋らないことに対して、思案の過程とかを聴いてみることにした。いろんな人の行動の向こう側を知ることで、結構面白くなるなと思った1年だった。特にゲストを呼んで話を聴くPodcastとかは楽しかった。「なぜあのとき頭の中にあった選択肢のうち、別の選択肢を選ばず、こっちの選択肢を選んだ、、、?」

そんなことを考えていた1年は、どこにも行けないし、行く気分じゃなかったこともあり、家にいる時間が増えたので、それに比例して読書する時間も増えた。だから、何か書くなら呼んだ本のことにでもしようということで、書いてみようと思う。ということで本題。

読んでよかった本①:反脆弱性

ダントツNo1。去年から持ってたんだけど、難しすぎて全然読めなくて。今年こんなことが起きたからこそ、すらすら読めた気がする。なぜ人はずっと続いていることが、これからも続くと信じてしまうのか?を教えてくれる本。すごくおすすめだけど、読破するには気持ちが必要な本。

 

 

読んでよかった本②:Google×スタンフォード NO FLOP! 失敗できない人の失敗しない技術

to Cのプロダクト作成の仕事をやっていると、開発前から製品化するまで、そして製品化した後もいろんなアドバイスをもらうのですが、そのアドバイス自体に目を向けるんではなくて、実際の行動(事実)に目を向けてみよう!みたいな本だった気がする。結構、心に残るのって定性的な意見だったりするので、ちゃんと整理して考えるようにしようと思った本。

Google×スタンフォード NO FLOP!  失敗できない人の失敗しない技術

Google×スタンフォード NO FLOP! 失敗できない人の失敗しない技術

 

 

読んでよかった本③:国家はなぜ衰退するのか

 国家の話をしてるけど、ずっと会社に置き換えて読んでました。上の位の人が下の位の人から、過度に収奪するとインセンティブがなくなって、衰退していくよね、的な話です。途中から、今の日本もそうかもなって思いながら読んでました。仕事上で上の立場にいる人は読んでみたらいいと思います。人間には上も下もないけどね。

 

読んでよかった本④:小さなチーム、大きな仕事

大きければ大きいほど、インパクトが出るかといえばそうではなくて。人が多くなれば、それなりコミュニケーションを取るのが難しくなっていくし、考え方の統率も取れなくなっていくこともあるよね(という話だった気がする)。まあチームが大きい小さい、会社が大きい小さいよりも、でっかい仕事を成し遂げるってことのほうが大事だよね。

 

読んでよかった本⑤:参加型社会宣言 ──22世紀のためのコンセプト・ノート

 アイデアを湧き立たせる本。読み返したいんだけど、本がどっかにいって、見つからない。そもそもの考え方的な話から、実際のアイデアも載っていて、学んで形にするまで一緒になってたので、頭に入るのが早かった。読んだ当初は参考に、施策考えてたりしました。

 

読んでよかった本⑥:暇と退屈の倫理学

 木村石鹸の木村さんが青山ブックセンターのおすすめする本で選んでた一冊。暇と退屈の違いとか、なんで人は退屈だと感じるのかとか、ロジックを立ててさまざまな角度から検証していく本。今年はこんな風に同じような言葉だけど、深く掘ると違うよねっていうことに対して、興味を持つようになった年だった気がする。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 

 読んでよかった本⑦:表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

今年は結構、在宅が多くなってイヤホン付けながら仕事をしていたので、耳の時間って余ってるなと感じました。音楽を聴いているのもいいんだけど、他になんか聴けるものないかなあと思っていたら、ラジオにハマりました。いろんなラジオを聴いているけど、一番ハマってるのはオードリーのANNです。若林さんが書いた本は、なんか人の心をうまく捉えているというか、上辺じゃないというか、人間らしさを感じさせてくれる一冊でした。旅に行きたくなる本。

読んでよかった本⑧:三体

これも在宅期間中よく聴いていたPodcastPOP LIFE The:Podcastで紹介されていたの聴いて、読んでみた本。SF小説ってあまり読まないんだけど、新しい科学の知識に触れられて面白かった。漫画とか小説とか、話自体が面白くて、なおかつ今まで触れてこなかった知識も手に入るのいいなって思ったな。ビジネス本ばっか読んでちゃダメだなって反省した。

三体

三体

 

 

 ということで8冊。今年は、ビジネス本とかHow To本とか普段の生活に即直結していく本よりも、生きていくための教養を得たいという目線で本を読んでいたので、カルチャー、小説、雑誌、エッセイなどいろんなタイプの文章を読んだ年でした。来年も人生の幅を広げていくためにいろんな本を読んでいこうと思っています。

それでは、2020年もみなさまありがとうございました!来年もよろしくお願いいたします。

 

解像度を上げるということ

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

最近は自分でやっている会社もなんとか2年を迎えて、意外と生きていけるもんだなあと思っています。と同時に、生きていくだけではなく、自分たちは創業当時に思い描いていたことを達成していくためにどんどん前に進んで行かなくてはいけないと思っています。

そんな2年だったけど、最近はインターネットから飛び出て、リアルの場所でポップアップを行うようになりました。リアル3Dってやつです。

今日はリアルに出向くことでなんかこんなことがいいよね、って思うことがあったので、それを書いてみようと思います。

あとこれは、自分が感じたこと綴ったものなので、みんなからしたらわかりきったことかもしれないから、そんなの知ってるわとか、今さら気づいたの?とか思うのはいいんだけど、それを口に出すのは慎んでほしい、傷つくから。

集合体で見がち

僕は昔からなにか新しいことをするのが嫌いで、できるだけいつも同じように平穏な日々を過ごしていければそれでいいと思っていたので、どこかに旅をしたり、思いつきでなにかをしてみたりということやってこなかった。

だから基本、情報はテレビや新聞、書籍、あとは人からの伝聞。そんな人生を歩んできたからこそ、国とか地域とか、民族というものをイメージや統計で語ることしかできなかった。それはきっと普通に生きていくだけだったらいいんだろうけど、物売りとしては、たぶん、ダメな気がしてる、直感的に。

数字も大事だけど、数字に表れないなにかを見つけたい

事業をはじめて1年ちょっとくらいは、インターネットだけでの販売でポップアップは一回しかやらなかったんだけど、そうやって過ごしていくうちになんかこれ後でもいいかもって思った。インターネット販売のいいところは、僕らみたいに貧乏でもすぐにショップが作れるし、誰がどこにいても物が買えることだし、顧客データも取れるし、どう行動したかも見えやすいとこだと思ってそれだけに絞って始めたのだけれど、前2つのところは環境によるので、仕方ないことだとしても、後ろの2つは後からなんとでもなるな、と。それよりもいまはユーザーがどんな顔、どんな人となりで、どこにどれだけ気に入っていてというより深いものの方がめっちゃ大事だなって思ったのもあって、去年の11月からいろいろなところでポップアップをやり始めた。

個人の価値観が街に反映されはじめている感じ

ポップアップをやり始めたときは、とりあえず人口の多い場所でポップアップをやれば、なんとかなるっしょと思って始めた。でも最近はいろんな場所に行く中で、同じ価値観を持っている人が集まって、その価値観が反映されてその街らしさができてきている気がする。

僕にとって街は昔から無味無臭のもので、街の区画に住む場所があって、そこにただ住んでいるだけのものだったわけで。それがなんか温度感みたいなのを感じ始めている状態がいまです。 

画一的は捉え方はできない

だからなんなんだよって話だけど、こういう街自体が人格を持ち始めようとしたときに、物売りはより一つ一つの街への解像度をあげていくことが大切だなって思っている。たぶん、県とかいう括り方はほぼ意味がなくなっていき、大きくても市町村レベルでもしかしたらそれよりも小さい集合体で人格を持ちはじめていくのかもなって。そんな場所に自分で足を運んで、その土地の人に出会って、理解して、そうやって自分たちの想いと似ている場所を探して、そういう場所だけで受け入れてもらえればいいんだと思う。僕らはたぶんそういう街だけでお店を作っていくんだと思う。

今後も解像度を足を使って上げよう

そういうことなので、これからも僕はいろんなところに足を運んで、体全体で目一杯その土地を感じに行こうと思います。

ちなみに、今後はこんなところに足を運ぼうとおもっているので、もしお近くの方いたら、ぜひ一緒にいろんなこと話しましょう。

10yc.jp

あ、ちなみに僕、10YCって洋服屋さんやってますので、ぜひこちらもフォローしてくださいね。

https://twitter.com/10yearsclothing

twitter.com

 

 どうしようもない文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました。

それでは、また。

また一年。

こんばんは、下田(@shotarouzaemon )です。 

いつのまにか2019年になって、いつのまにか3月になってしまった。
この間までは2019年だー!わーい!ってやっていたにもかかわらず、もうすぐ一年の4分の1を終えようとしている。
時の流れは早い。

そして、今日、3月15日に28歳になったので、此の節目にこの一年の振り返りとここからの1年に対する目標みたいなものをここに記しておきたいと思う。

この一年

この一年は本当に激動だった思う。去年の3月には自分たちの事務所が墨田区にできて、それから自分たちの城でいろんな商品開発をしながら、サービスを停止したり、再開したり、色んなもの作ったり、びっくりするほどの日次売上をあげたり、今振り返ると自分たちで考えて、手を動かして、ブランドを運営とはなんたるかを生産から販売まで現場で知った。

まあ、知識や経験がある人からすれば、「そんなのはこうやればいいんだよ」とか「だから言ったのに」という感じだろうが、知らないということを知る、何が大変で何にリソースがかかるかを身をもって体感する、といった経験ができたのは本当に良かった。

ブランド運営をするには、予実管理、販促施策、ウェブサイト更新、SNS発信、生産管理、在庫管理、新商品開発、、、、ただウェブサイトを作ったら売れるみたいな甘い考えが全て消え去り、愚直に手数を打っていく大切さを知った。

誰かにやらせればいいじゃん、と言われたりしたけど、それでもすごく大切な経験だったのかなあと勝手に思っている(それによる被害を受けた方々も社内をメインにたくさんいるので、それに関しては本当に申し訳ないと思っています。ごめんなさい)。

あとは誰かにお願いしなかった(例えば、外部に)のには、やっぱり自分たちで作った会社だから、自分たちの手で、力で成し遂げたかったというのが大きい。
誰かの助けを借りずとも、自分たちの手で自分たちが好きなようにできる会社を作りたかった。

でもこの1年間で、素直に自分よりすごいなと思える人に多く会い、新しい考え方に触れていく中で、いかに傲慢で、いかに自分がボトルネックになっているかを知った。
そして幸いなことに、その人たちは利害関係なしに10YCのことを考えてくれている人たちだった。

そして、そんな人たちと普段から雑談(結果的に壁打ち)をしていく中で、自分たちが大切にしなきゃいけないこと(ぶらしちゃいけない軸)、自分たちが作りたい未来がぼんやりだが少しはっきりとした輪郭になってきた。

「自分たちに軸を持っていながら、人に協力してもらって何かをやるのであれば、それって全然怖くないのかもしれない」と思った。
今までは「自分たちのことが何もわかってなかったからこそ、頼るのが怖かった」んだろう。

少しづつだが、事業というのに向き合っていく中で、軸を作っていった一年だったと思う(かなり時間がかかってしまった、起業の科学に書いてあったのに。)

これから

ということで、これからは自分たちが大切にしていることに共感してもらえる人たちとともに一緒に10YCを作っていきたいと思う。

僕らはいつか10YCの商品に関わる人がみんな楽しく過ごせる社会を作りたいと思っている。
それは街かもしれないし、経済圏かもしれないし、何かはあんまりわかっていない。
だけど、10YCの商品を着る人は思いっきり人生を狂うかのように楽しみ、作る人は誇りを持って、その人のためにものづくりをしている。そんな未来が実現したらいいなと思う。

でもその未来を作っていくまでに、10YCに足りないところはたくさんあって、その足りない部分を色んな人たちにお力を貸してもらいながら、より強く、より前に進んでいきたい。

まあ大きなこと言ってるわりには、めっちゃカツカツなので(カツカツだから遠い未来に想いを馳せているのかもしれない)、ご飯連れてってください。

最後になりますが、一番身近で支えてくれている10YCのメンバーを始め、いつも親身に10YCにアドバイスをくれている方々、見切り発車しがちで、タスク溜めがちな下田ですが、またこの一年より一層お願いします。

下田

2018年振り返り。

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

いつの間にか2019年になってしまい、仕事のことばかり振り返ってばかりで自分のことを振り返ることがなかったから簡単に振り返って去年の自分を少しだけ褒めてあげたいと思う。本当に激動の一年だったから、書きたいことは山程あるが、その中でも自分の中でインパクトが大きいものを3つに絞って書く。

  1. タバコをやめた
  2. 歯医者に行った
  3. 旅行に行った

一つずつ振り返ろう。

1.タバコをやめた

二十歳から吸ってきたタバコをやめた。付き合いは長かったが、親父が倒れたときにタバコや酒が原因だったこともあり、俺は60歳そこらで病気で倒れたくないので、とりあえず危険度の高そうなタバコをやめた。だって90歳くらいまでは元気に過ごしたいからね。やりたいことたくさんあるし。あとは昔から「なんとかなるっしょ」って生きてきたけど、少しリスクを侵さなくなってきたのかなとも思う。少しは成長したのかしら、それとも臆病になったのかしら。

2.歯医者に行った

虫歯だらけの歯を治し始めたのも今年から。親知らず+虫歯のダブルパンチの激痛に耐えることができず、渋々歯医者に。それからちゃんと通ってる、すごいエライ。よくわかんないけど虫歯あった頃は頭の調子が悪かったり(気のせい?元から?)、肩こりがすごかったり(気のせい?元から?)したけど、奥歯の虫歯の大手術が終わってからすごく調子が良くなったよ。なんだかみんなつながってんのかね、知らんけど。昔は一箇所治したら歯医者に行かなくなっていたんだけど、今回は通えてる。全部治るまであと少し。最後まで頑張ろう。

3.旅行に行った

最近は年に2回旅行に行くことを決めている。春夏に一回と秋冬に一回。今年もちゃんと行けたから嬉しい。ちなみに行ったのは夏の京都と冬の金沢。京都は雰囲気がとっても好きだから、毎年必ず一回旅行で行くようにしてる。だいたい建仁寺にいるけど、知恩院も良かった(名前合ってるかわかんないけど)。冬は毎年変わっていて、去年は箱根で今年は金沢。魚が美味しくて、兼六園がとても美しくて感銘を受けた(松が美しい)。仕事関連でいろんなところにも行くけど、それはそれでどうしても仕事と結びついてしまい、思いっきり楽しむことができないので、プライベートの旅行ってめっちゃいいよなって思う。携帯の電源を切って、目の前の景観を楽しむ。昔の時代に思いを馳せる。とても大事だよね。でも冬は寒いから温泉にしよう。来年も継続しよう。

 

この3つは今年自分自身にとって大きかったホットトピックス。

来年はどんな出来事があるのでしょうか。とても楽しみです。

お付き合いありがとうございました。

それではまた。

 

 

プレゼントみたいな、サブスクリプション作りたい。

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

少し前から思っていたことを書きます。

 

最近、どこに言ってもサブスクリプションサブスクリプション!みたいな話を聞くので、少しサブスクリプションについて考えてみたんですけど、ただのサブスクリプションってたぶん、途中で要らなくなったり、もはや来るけど使っていなかったりすることがあるんじゃないかなあと思っていて。

そうなると、特に洋服を扱っている自分たちからすると、使ってもらえないことが一番辛いことなんで、ただ毎月服を送りつけるようなサービスはやりたくないなあと。

んで、自分がどんな服を着てることが多いか考えたら、「プレゼントでもらった服」ってちゃんと着てるし、大事に着てるなあ、と思って。誰かにもらったものってその「モノ」以外にももらった人からの思いというか、愛というかそういうのが詰まっているから、自分で買うモノよりも手厚く扱ってしまう気がする。

それってすごいいいなあ、と。

だったら、自分でサブスクリプションを申し込んで、毎月もらうとかじゃなくて、例えば、10YCから誕生日とか、なんかの記念日とかに、その人のためにプレゼントとして送るみたいなサービス作りたい。

その他にも、もう少し踏み込んだサブスクリプションみたいなサービスもあるんだけど、ちょっとあんま具体的に落とし込めないから、また話します。

とりあえず、言いたかったことはプレゼントって良いよね!てことです。

P.S サブスクリプションサービスの作り方教えてくれて、さらに一緒に作ってくれる人いたら連絡ください(本気)。

それでは、また。

 

 

 

10YCが実現したい未来。

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

 

自分で会社をはじめて、はや2ヶ月と少しが経ちました。

相も変わらず工場を訪問したり、新商品を考えたりしながら、初めて自分も関わってECサイトを作ったり、そのコンテンツの記事を慣れないながら書いたりしています。

ぜひ一度ご覧くださいませ。

10yc.jp

 

今日は、12月になったことだし、10YCが実現したい世界について書こうと思います。

まず、立ち上げの背景

僕らは今回、「着る人も作る人も豊かにする」というコンセプト持って、10YCというブランドを立ち上げました。

このブランドを立ち上げようと思った背景には、ファストファッション繁栄の世の中で大量生産大量消費の安価なものづくりやブランド側の価格競争による素材・縫製工賃の叩き付けに嫌気が指してきたこと、今までのアパレルブランドの販売方法などに不信感を抱いていたことがあります。

今まで衣料品を扱う会社の中で一番稼いでいたのはアパレルブランドです。アパレルブランドではおおよそ、販売価格の20~30%のコストで商品が作られています。例えば、3000円のTシャツであれば600~900円の間で作られ、それを販売した後に残る2000円以上がブランドの利益となります。その利益から店舗の家賃や人件費を支払っているわけです。

しかし、数年前より百貨店ブランドを始め、今まで栄えてきたアパレルブランドが軒並み業績を落とし、その結果、業界全体がだれも触りたくない腐った死体のように扱われるようになってきました。でも、なんとなくわかる気がします。なぜかと言うと、自分自身「服を買わなくなった」からです。

服を買わなくなった理由

私は新卒からアパレルブランドの生産管理として4年半働いてきました。その中で、どうしても納得が行くことができなかったのは、「売る」ことばかり考えている会社の方向性でした(もちろん、売らなくては社員が生きていけないのは分かっています)。

でも、ものづくりをする前に、そもそも「この値段で作って欲しい」とか「こんなに高いのは使えない」、「もう少しコスト安くならないの?」なんてことばかり言われる環境ではお客様に喜ばれる商品は作ることはできないと思いました。

加えて、その生産工場との価格交渉をしたあげく、販売開始から間もない頃にセールで30%OFF、50%OFFなんてされた時には泣きそうになります。実際、その中の数%でもものづくりに還元できれば、さらに良い商品をお客さんに届けることができたし、技術のある生産者の方々と取り組むことだってできたからです(生産者は何円というコスト交渉をしています)。

そういう商品を「売る」人たちがお客さんのことでも、生産者の人たちのことでもなく、売っている自分たちのことだけを考えていることを分かってきたから服を買わなくなりました。

だから、「着る人も作る人も豊かにできる方法を探そう」って思ったんです。

今までのやり方を変えてやってみる

着る人も作る人も豊かにするなんて「そんな虫の良い話があるわけない」と思う方もいると思います(僕も実際やってみなくてはわからないというのが正直な想いです)。

でも、今まで当然とされてきたことを辞めていくことで、できるのではないかと思います。

大きなところで2つ挙げられます。

  1. 商社や委託先に全部任せるのを辞めた。=作り方の改善
  2. 店舗を持つこととセールをすることを辞めた。=売り方の改善

商社や委託先に全部任せるのを辞めた。=作り方の改善

今までのアパレルブランドって、商社やアパレル生産会社の人たちに写真を見せて「これ作っといて」ということもざらにありました。つまり、全部委託先に丸投げすることで楽をしようとしてきたわけです(楽をしようとするのにも理由があり、ブランドは1シーズン【春夏、秋冬など】に何百もの商品を店舗に撒いていかないといけないので、一つ一つの商品にそんな時間をかけていられない。)。

つまり、ブランド→商社→海外生産会社→委託工場という流れになり、物が作られる間にいくつかの会社が入ることになります。いくつかの会社はその仕事で成り立っているわけなので、もちろん利益をとります(そこには人件費以外に今まで培ってきたノウハウや様々な工場を知っているネットワークも入ります)。

そうするとこんな感じになります。

【従来のアパレル】

ブランド←商社(利益20%とる)←海外生産会社(利益20%とる)←委託工場(利益20%とる)

金額でいうとこんな感じです。

ブランド)900円でTシャツ欲しい!

ブランド(900円)←商社(750円:利益20%とる)←海外生産会社(624円:利益20%とる)←委託工場(520円:利益20%とる)

会社を通すだけで380円が取られるし、3000円のTシャツのコストは900円だったと思ったら、実際商品かかっているコストは520円だったみたいなことになっています(原価率17%程度)。

僕らは、その仕組みを辞めました。

【10YCの場合】

10YC←生産工場(利益20%とる)という流れにしました。

 

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10YC)900円でTシャツ欲しい!

10YC(900円)←生産工場(750円:利益20%とる)

ちゃんとものづくりにかかるお金を増やしていけるような仕組みにして、中間マージンを排除することを実現しました。

でも僕達がそれ以上に大切だと思ったことは、直接工場さんとやり取りすることによって、作っている人たちの顔が見えるようになったこと。

誰がどこでどうやって作っているのかを知れるようになったことで、安心感も増し、さらには責任感も増します。それに加えてものづくりの想いを直接聞くことができて、それをお客さんに直接説明できるできるようになりました。

だから、10YCは服作り関わった人たちの想いをしっかり紡いで伝えていくことができます。

店舗を持つこととセールをすること辞めた。=売り方の改善

僕らは店舗を持たず、衣料品を販売していきます。つまり、従来かかっていた店舗運営にかかるお金(人件費や家賃)をかけることなく、ものづくりをすることができます。

店舗にかかるお金を減らした結果、何をするのかというと、そのお金を商品に投資します。また、今までのブランドはセールを見込んだ値引率を含め、原価率を設定していましたが、10YCはセールをしないというポリシーを持つことで、ぎりぎりまで原価率を上げるようにしました。

そうすることで、今まで20~30%の原価率だった従来のアパレルとは違い、10YCは原価率を50%程度まで上げることできます。その結果、同じ販売価格でもより質の高いものをお客さんに届けることを可能にしました。

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これをやることによって大事なことが実現されます。それは、今まで高いという理由で受注を減らされてきた技術を持っている生産者の方々と取引ができるということです。

今まではMADE IN JAPANは品質はいいけど高いと思われていたのを、売る仕組みを変えていくことで今までと同じような価格で品質の高い商品を作ることを可能にしました。

だから着る人も作る人も豊かにできる。

僕らが特に変えていこうと思ったのは売り方の部分です。海外で大量生産をし、大量在庫をする。大量生産をするのは自分たちの責任なのに、値引きや在庫を残すことを見込んだ原価率の設定をする。それは自分たちの手法は自信がない現れではないでしょうか。

10YCは在庫が残ることやセールをすることは考えません。だから、品質を高めながら、価格を抑えることができるのです。

今までのアパレル業界では当たり前だったことを辞めていくことで、

  • 10YCは生産者の見える化、価格の見える化をすることで、お客さんが持っている洋服への不信感に真摯に向き合っていきます。
  • 10YCはお客さんはもちろん、生産者の方々と持続可能なものづくりのサイクルの仕組みを実現します。
  • 10YCは着る人は作った人のことを想いながら洋服を着て、作る人は着ている人のことを想いながらもものづくりをする世の中を作ります。
  • 10YCは着る人も作る人も豊かにする、未来のものづくりを実現します。

10YC | 10YCは透明性、品質、持続性、この3つにこだわって、着る人も作る人も豊かにします。

それでは、また。