仮の姿が作れる時代になったなと思う。2015-11-15 23:28:13

どうも、下田です。

ブログの下書きを見ていたら、なんか面白そうなことが書いてあったので、公開してみようと思う。2015-11-15 23:28:13に書いたブログみたいです。当時はオラオラだったから、主語がオレになっている。

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SNSに投影される、人のイメージ

最近思うこと、その人の本来の姿や想いってどこにあるんだろう?ってこと。

この時代、SNSの隆盛にあずかり、人と人とがリアルに接していなくとも、誰かとつながっているような気持ちになることができるようになった。FacebookInstagramTwitterなどで自分を表現できる場が昔と比べて格段と多くなったのは、みんなも知っての通り。

しかし、自分のライフスタイルというものを発信していける時代になったと同時に、仮の自分も簡単に作り出せる時代になったとも思う。

自分事の話になるが、オレは今SNSを通じてイベント関係を主として様々なことを告知している。そうすると、普段会うことのない人からすれば、毎回イベントとか楽しいことをしているリア充だよねとか、パーティーピーポーだよねとか言われる。別に嫌とかそういうわけじゃない。でも実際は土日で家から一歩もでないこともあるし、ただ職場と家の往復を繰り返す週もある。そういう生活をしているにも関わらず、SNS上でしか接することがない人はそういうイメージを持つ。

話がそれたが、SNS上の世界はそういう世界だって頭に入れておかないとなんだか疲れてしまうんじゃないかと思ってる。SNSは本来の姿を投影したものではないってこと。

Pray For France

今日朝起きて、Facebookも見たらみんなのトップ画がトリコロールになっていて驚いた。こういうことが起きると、被害にあった人を本当に祈っているのかとかなどという議論がなされる。しかし、当の本人たちからすれば、そんなことはどうでもいいことなのではないか。そういう想いが本当にあるかないかという議論は無駄だ。これは一種の、ちょっとしたムーブメントとして捉えるしかない。Facebookの誰かが「これをやろう」と考えて仕組みを作って、それに対してボタンひとつであたかも祈っているかのようにさせる機能がそこにあったから参加してみただけのことだと思う。そうすれば、自分も善良な市民の1人として名を連ねることができるから。

オレの中には色んな想いがあるが、これらの行動を否定しているわけではない。だってこれが今の時代における表現の仕方の中心となっているから。もちろんオレだってその渦に巻き込まれているし、それを利用している1人だ。

SNSが生活の一部になって変わったこと

オレは個人がする一つ一つのいいね!やシェアとか、投稿に文句を言っているのではない(実際それは個人の自由だ)。ただ、伝えたいことは、SNS上で起きていることはその人の時間を切り取った一端であって(もしかしたら一端でもないかもしれない)、その人の全てを投影したものではないっていうことだ。

昔から人の本来の姿も知るっていうのは難しいことだ。本当の自分を知っているのは自分自身しかいないし、自分自身も知らないこともある。これは現時点では昔から変わらないことだと思う。

では、何が変わってきたか。

それは仮の自分が創ることができるようになったことだ。たまに投稿する自分が本当の自分のように扱えるようになったことが大きな変化にだと思う。Pray For Franceだってそういう機能がなければやらなかったことも、一つの企業による施策によって自分も参加できるし、そういう想いがあるんだって伝えることができるようになり、そしてその自分を他の人に発信できるようになった。

さらに、常に楽しい人生なんてない。誰にだって1人でさびしい夜もあるし、仕事で打ちひしがれて泣きたい日もある。でもそんなことを友達や同僚、上司には知られたくないし、ましてやいつまでも残るネットになんか投稿したくないのは当たり前のこと。

簡単に自分を表現できるようになったからこそ、投稿する側は自分の表現の仕方を考えていかなければならないし、見る側は本当にその人がそう思っているのかを精査しながら受け取っていかなければならない時代になったんだと思う。そう考えると、SNSってめんどくさい。

SNSとのかかわり方を考える

なぜ、そうめんどくさくなってしまったか。それはSNSが生活の一部でなくて、生活の中心になってしまったからだ。事実最初に述べたオレのイメージが構築されたのもそういう理由だと思う。

本来、SNSはリアルがあってその脇で自分を表現してくれるものであったはずなのに、環境が変わっていくたびにかかわる人が増え、それこそ一回会っただけで顔も覚えてないような人も友達(フォロワー)に追加されていく。

そうなってくると、そこでしかかかわることがないひとばかりだから、投稿=その人自身になってしまい、伝えたいことも簡単に伝えられなくなってしまった(Facebookに関しては実名主義なのもそれを拍車をかけている)。その結果、自分が伝えたいことよりも、みんなから共感が得られるようなことを投稿するようになった。SNSの鎖につながれて、ちぎる力がなくなってしまった。

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