考えるということ、『多眼思考』から。

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

 

最近、なんやら説明会とか勉強会とかが多くて思ったことを、以前、読んだちきりんさんの『多眼思考』に書いてあったことを思い出して。

 

多眼思考 ~モノゴトの見方を変える300の言葉! ~

多眼思考 ~モノゴトの見方を変える300の言葉! ~

 

 

“「考える」っていうのが、どういうことかもわかっていない人もいるよね。本を読んでるとか、エクセルを操作してるとか、企画書の文書を「書いてる」とか、そういうの全く「考えてる状態」ではありません。”

 

この言葉を思い出して、今の現状に置き換えてみると、

今、働いてる中で、例えばさっき書いた説明会とか勉強会とか、他には人から言われたこととかをなんとなく聞いただけで終わってしまってる自分がいて、それってどうなんだろうって思い、

あとは会議とかで時間を埋められて一日が終わっちゃう日があると、なんか時間は経ってるし、会議に出た満足感あるし、みたいな感じになっちゃって。

それって、意味あるのかなあって思ったんです。

んで、上に書いた言葉を思い返した時に、

「自分って『なにかをしていた』かもしれないけど、結局、何を得られたんだろう」

っていう空虚感がすごくて。

説明会や勉強会、講習会も、人から聞いたり、教えてもらったりしても、そこで終わってしまえば、自分の頭の片隅にも胸の奥の方にも落としこまれない。

自分が受けたものから「何が正しくて、間違っているのか」を自分なりうに考えて、仮説を立てて、実践しないとただ右から左に流れていく。

 

これってやり始めると簡単に言ってるけど、すごい時間がかかるし、面倒くさいし、業務の中でやるのは難しいし、作業してないから上司から「暇なの?」って言われるかもしれないけど、

それでも無理やり時間を作って、周りの目を気にしないで考える力をつけないと(考えることで考えることに使う時間も少なくなっていくというか、生産性が上がっていくというのか、単純作業と同じでやっていくうちに速くなっていくと思います)、ロボットを同じ作業をする人間になってしまうよね。

まあそれでもいいって言うんならいいんだけど、オレはそんな作業をこなす人間にではなく、あらゆる角度から物をみて、それが正しいのかを検証して、どうすれば自分がいる環境が良くなっていくのか、半永久的な利益をを生み出すにはどうすればいいか、を考えて会社に貢献できる人間になりたいと思うので。

 

“今、5分かけて話したことは、いったい何時間かけて考えたことなのか?ってのが、話してておもしろい人とそうじゃない人の差だよね。5分感得たことを5分話す人と、100時間考えたことを5分話す人がいるんだもん。おもしろさが違ってあたりまえ。”

 

この2つ言葉はのうのう、淡々と時の流れに身を任せて生きていっちゃうそうなオレを引き戻してくれる言葉です。

それでは、いつかまた。