会社、辞めました(通算1回目)。その2〜物作りの原点〜

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

今は会社に行く事もなくなって、朝起きてコンビニいに行って1日分の飲み物を買ってそれから音楽を聞きながら、家に籠って作業をしています。自宅兼作業場だから移動するという行為がなくて楽なのですが、これが良いのか悪いのか、境目がなくなってしまうので甘えが生じないかが心配です。

が、それも今後どう感じるかですね。それについてはまた違うエントリーで書きたいなっておもいます。

昨日のエントリーでは、入社してから2年目が終わるまで。

 

 

今日はその後のお話。

 

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なかなか前に進まない3年目

中国研修を終え、「アパレルのおかしいところを変えるんだ」と意気込んで迎えた3年目。会社では最も大きいブランドの生産MD(生産に特化したMD)のアシスタントとして働くこととなりました。

(生産MDとは皆さんが知っている、アパレルのMDの生産バージョンです。通常、アパレルでいうMDとはブランドにいて売上予算やその付随する仕入予算の中で商品のラインナップと、その商品の数量やカラー展開などを決める役職の人で、生産MDとはブランドの特性に合わせた生産背景や生地背景、納期に合わせた生産スケジュールの立案、コスト管理などをする役職です。)

この役職に付けたことは非常にモチベーションが上がりました。だって、中国で感じた日本側の理不尽な要求を変えることのできるポジションでしたから。

営業MDと生産MDはぶつかり合いです。営業MDは「売れる商品を作りたい」という思いが強く、生産MDは「良い商品を作りたい」という思いが強いからです。

この場合、「良い商品」=「売れる商品」であれば、なんの摩擦もなく、進めることができるのですが、そんなことばかりではなく、コスト、納期、品質、最低発注数(生地を生産するために最低必要な数量、中国だとおおよそ1色1000M程度)の様々条件のなかで、どれを優先順位を付けて商品を作るのかでまず、ぶつかり合いが生じるのです。

しかし、やはり売上予算を持っているのは営業MDですから、数字が届かなくなるのが、一番怖い。そして、生産側も予算の話をされると「良い物=売上につながる」を完全に担保できるわけではないので、コスト優先の商売になってしまうのです。(もちろん、「絶対に良い商品を作ったら売れます!」と根拠がないけれども、相手を圧倒する発言ができれば、提案が通ることもありますし、全ての商材がコスト優先なわけでもなく、総じて多いということです。)

そんな自分の想いと現実の仕事とのギャップが段々と大きくなり始め、自分の想いを伝えきれないもどかしさや、実行できないことに対する失望感を抱きながら早くも3年目が終わっていくのでした。

高校野球だったら最後の夏はとっくに終わっているのに。。。悔し涙もでませんした。)

悔しいから動く、知らないなら知る!の4年目

良い商品を作りたいなら、良い商品を知らねばならぬ。

もやもやして、仕事のやる気も起きず、4年目も3ヶ月も経ったくらいの頃、なんのきっかけか分からないですが、ほぼ日刊イトイ新聞で日本の物作りの記事を読んだのです。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 21世紀の「仕事!」論。

そのときに、なぜか本気で感動したんです。こんなに自分のやっていることに対して自信を持って話している人がいる。申し訳ないですけど、自分の会社にはそんな人は居なかったんですよ。みんな、やれコストだ、やれサプライチェーンだ、仕組みの話をする人ばかりで、1つの商品は1つの「無機質な物体」としてしか考えてなくて、想いが全く入ってない物ばかりが作られていく、そんな状態だったわけです。そこに和田さんという、こんなに輝いているおじいちゃんを見たときに素直に羨ましいなと思ったんです。

いざ和歌山へ

すこし話はそれますが、自分は昔から行動力がない人間だったんですね。目の前に川があって、向こう岸には誰も行った事のない未知な世界があるとしたら、まずこちら側に残るタイプです。とりあえず、勇猛果敢な人たちにまず向こう岸に渡ってもらって、安全が確認できたら、渡るタイプです。

なにが言いたいかというと、何かに感化されてとりあえず飛び出すみたいなことは自分の人生において異例だったわけです。常に安全運転、各駅停車でしたから。

その自分が直接電話して「とりあえず見学させてほしいんです」って頼み込んで、和歌山への夜行バスチケットをとって、和田メリヤスの和田さんの元へ、旅立ったんです。それが2016年7月の話。

和田さんの元へ着くと、「この生地はゆっくりゆっくり編んでいくからなあ、効率悪いけど、すごい着心地の良い生地ができるんやなあ。」とか言うわけですよ。わけがわかんなかったです。だって今まではどれだけ早く、安く作るかだけを考えていたわけだから。

このときから、やっぱ物作りはただ作っているだけでは駄目だと思ったんです。自分たちが自信を持って作って、それが買ってくれる人たちにとって良い物であって、作り手も買い手もみんなが豊かになれる物を作らなくちゃって。

少しずつで良いから変えていくこと。

そんな想いを持ちながら、本業の方は、ブランドが許す事のできる範囲のコストで出来るだけ良い物を作ろうと仕事をしていました。このときは生産MDとして一人立ちしていて、自分の権限の範囲で出来ることが増えていたので。出来ないこともあったけど、和歌山訪問を通して、自分が良いと思ったことはちゃんと自信を持って発言するようにしていました。例えば、自分のカテゴリで30個商品があったとしたら、そのうちの2個でもいいから、自分の想いが入ったものを作る。それが売れれば、自分の想いの入った商品の割合が増えていく。そんな感じで順調に、売上も良かったし。

一気に変えることは難しくても、少しずつであれば、変えることができる。大きな組織ではこれが、長く仕事をしていく上で大事なことだと。色んな人と話し合いながら、自分の想いを伝えていく。そういう地道な行動が組織を変えるためには必要なことだと強く感じた4年目。

おかしいと思ったから、会社を辞める。

ブランド異動

どこのアパレル会社もそうですが、自分が勤めていた会社もいくつものブランドをもっていました。マルチブランド戦略といって、価格帯やターゲット層、テイストによって分けられたブランドが複数ある状態です。

3年目からずっと300億売上規模のブランドの生産MDをやってきたのですが、その傍ら30億円売上規模(1年目に担当していたブランド)も担当していました。

そこへの異動が決まったのです。理由は売上増加のための生産強化ということでした。ブランドから生産強化を依頼され、それに指名されるのは非常にありがたいことでした。なので、即アサインしました。自分の中でも、今までの経験でブランドを変えることができると本気で信じていました。

ということで、2017年3月新たなブランドへと異動しました。

変えることの難しさ。

毎度のことなのですが、何か新しい契機があると、変な使命感を持ち、自分がやらなくてはいけないんだという感じになってしまうのが悪い所でもあり、今回も性懲りもなく、その状態になったまま着任をしました。

まあ、結論から言うと失敗しました。

原因は、ブランドの特性に合わせることをしなかったからだと思います。ブランドによって、テイストや価格帯が違うのと同様に、生産方法も違います。計画的に大きな数量を動かしてコストメリットを図るブランドもあれば、出来るだけ引きつけてトレンドを見極めクイックに作ることで的中率を上げようとするブランドもあります。その中で、僕はブランドの特性に合わせることなく、自分の中の正解をブランドに押し付けることで物事を解決しようとしていました。それが間違いだったのです。

決意

間違いだったのは、ブランドを変えるためにとった手段であって、自分の中での想いは変わりませんでした。ただ「コストやトレンドに合った物作りをする」のではなく、自分の自信を持ったものを作り続けなくてはいけない。お金やトレンドも大事だけど、それよりも服への想いの方がずっと大事だ。

だから、2017年7月、僕は辞めることにしました。

 

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明日はこれからのお話。

それではまた。

会社、辞めました(通算一回目)。その1

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

ご無沙汰しております。

 

暑い日々が続き、外に出る気も起きないし、出来れば、家でクーラーつけて、ごろごろする日々を過ごせればなと思っている今日このごろ。

ええ、現実になりました(歓喜)。

 

2017年7月31日の今日は、家でクーラーを付けて、MACと相対しながら、このブログを書いているわけです。

 

自分でも先週末、会社を辞めて何を始めればいいか、分からないから、とりあえず、大学を卒業してから4年4ヶ月働いた会社での思い出をちゃんと書き留めておこうと思ったわけです。自分のために。

入社してから、会社を辞めた理由、そしてこれからの話。

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就職が決まるまでの流れは下の記事を。

 

とまあ、就職活動でうまくいった思い出なんかなくて(それは自分が就職活動を甘くみていたのが悪いのだけれど)、とりあえず楽しい会社に入りたいとか、海外に行きたいみたいな、子どもでも考えられるような動機で、いまの会社の前身の会社?に入りました(ここはすごいややこしいのでこのあとの流れで詳しく)。

飲み会要員としての1年目

仕事は出来ないが、人を楽しませるということを知る。

とりあえず、1年目は経理部に配属ですね(一応、アパレルの会社でした)。

そこで半年間、経理部に所属してその後ブランドの生産担当になるのですが、

1年目の思い出はただ、上司や先輩の取引先との飲み会に連れ出されて、芸をやり、一気飲みをして、潰れて先輩に抱えられながらホテルや同期の家に担ぎ込まれて。。。。の記憶しかないです。

きっと出来る人はここで「朝まで、また量をどれだけ飲んでも朝は必ず、出社する」と言うのでしょうけれど、僕はそんなことはなく、朝起きると11時過ぎで、午後出社することが度々。

だから1年目は仕事を覚えた記憶はあまりなくて、とりあえず上司や先輩に取引先との飲み会に行くというのが仕事だったかな。。。笑

(というか、そもそもこの会社で新卒で入ったのは僕らが初めてで、教育制度なんかなかったんですよ。仕事は自分でとって、勝手にやるみたいな感じだったし。でも、アパレルってなんか、飲み会が仕事みたいな風習あったんで、その現場に連れて行ってくれたのは最高の教育だったかもね。)

でも、そこでたくさんの人に会えたし、たくさんの人が笑ってくれたし、喜んでくれたし、やってるときは辛かったけど、今となっては大切なことを教えてくれた1年間だった気がする。

人を楽しませることって本当に大変だし、場数を踏まないと出来ないし、それが会社とか先輩のお金でできたのは本当に良い経験だと思うよ。それだけやっていたらくそ人間だけど。

 

中国研修の2年目

まあ、1年目からだったのですが、元々入った会社がアパレルだと中々大きな会社に買収されることになっていて、ばか騒ぎも出来ないちゃんとした会社に変わっていきました。

そういう流れになってくると酒の席でしか威力を発揮出来なかった自分のような人間は会社での存在価値というものがはっきりいってなくなります。

ちなみに1年目の後半〜2年目の前半はある30億程度売上のあるブランドの営業担当だったのですが、結果は散々たる結果でしたね。

売り上げはとれないわ、赤字は出すわ、納期は遅れるわ、そんな営業担当でした。あのとき関わった方には、いまでも頭があがりません。

そんなこんなで、2014年7月に中国に逃げ出します。そのとき会社には中国研修制度という、2年目の社員が半年間、生産現場である中国に滞在し、勉強をするという制度がありました。成績の悪い僕は逃げるように中国に旅立ったのです。。。

物を作るということを知る。

中国では、お湯でないとか、便座が冷たいとか、床に落っこちている野菜を炒めた料理や新鮮そうに見える刺身を食べてお腹を下すとか、生活面でのカルチャーショックがたくさんありました。

そんな中で一番、中国に行って感じた事は、今までの自分がいかに無知で、机上でものを述べていたのかを大きく痛感しました。

中国での6ヶ月は、毎日毎日いろいろな工場を回って服を作る現場を見続けました。
それまではミシンも中学の家庭科の時間で少しさわっただけだったり、服は簡単に店頭に並ぶものだと思っていたりして、結局、店頭に服を並ぶまでの工程を無視して、ただ「工場に納期を守れ」だの、「コストを安く」だの、「きれいな服を作れ」だの言っていました。

でも現場に入ると、短い納期の中で縫製している人や生地を作る人が、
夜遅くまでとか、月に2日しか休みがないだとかっていう環境で僕たちの服を作ってくれていることを知りました。

このときに、
日本の会社が大きな数量を発注する取引先だからという理由で、
現場を無視して、コストを下げ、無理な納期を強いているという状況をみると、やっぱり、もっと現場も気持ち良く仕事ができる環境づくりをしていかなければならないと柄にもなく思ったわけです。

あの6カ月で莫大な知識が得れたとか、一回り大きくなったとかそんなことは全くなかったけど、それでも、工場で工員さんと同じ御飯を食べたり、一緒に仕事したり、自分でシャツとかパンツとかマフラーを作ったりとかする中で、服作りの現場を知れたということが僕にとってのいまでも根っこにある大きな財産です。


これからももっと上辺の仕事や人間関係に囚われず、自分にとって必要なことはなんなのか、
何十年後に自分を豊かにすることってなんなんだろうって考えて生きていこうと思ったときでした。

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と、長くなってきたので、今日のところはここまで、続きは明日。

それでは、また。

 

 

 

 

 

 

新年のご挨拶 2017

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

皆様、あけましておめでとうございます。

2017年になりました。

毎年恒例ですが、新年のご挨拶を。 

 

好きなことを勝手に、思い切って自由にやる。

 

今年はこれ一つに付きます。

思い描いているもので3つ、全部一人でできるわけではないのだけれど、色々な人の力を貸してもらいながら、実現していきたいなと思っています。

この年末年始はその実現に向けていろんなスケジュールを組みながら、スケジュール感を確かめているところです。

 

まず、去年を振り返る。

 

特に去年感じたのは、いくら情熱や執念があったとしてもキャパは圧倒的に増えていかないということ。

やっぱり自分自身でやりたいを増やしていくためには人と協同して自分の得意な部分と不得意な部分を明らかにして、補填していくことができないと多くのことをやり遂げられないなと痛感しました。

 

その中で、去年の後半から自分に課していたものは選択と集中

 

全部が全部自分でできないということを認めることも大事だということ。

もちろん、自分ができないことを出来るようになることも必要だけど、出来ないことや不得意なことを出来るようになるのには時間がかかる。

その時間を今使うべきなのか?それとも今じゃないのか?

毎日の仕事やプライベートの中で、そういう問いに対して答えていきました。たまにほぼすべてのことを「今じゃない。」と答え、断ることもありましたが、さほど悪影響もなかったような気がします。

 

そして、今年。

その流れで今年はもっと思い切って自分がやりたいと思うことに正直になろう、と決意しました。

つまり、自分がやりたいと思うことを明確にして、それに向かって直線で突き進む。

それ以外に必要と思わないことはバッサバッサ切っていく。

そんな風に生きていこうかなと思っています。

 

毎年のように、今僕は滾っています。今年も滾っています。

一つ一つ、何かしらのことで報告できればと良いですね。

 

皆様にとっても、良い年になりますように願っております。

それではまた。

消費マインドの変化。大量生産大量消費時代の終焉。

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

 

モノを作れば売れていた時代

昔、高度経済成長期はものをつくれば売れる時代だった。

家電や不動産、衣服、自動車。

値段ではなく、良い物やステータスがあると思われるものを「持つ」ということが「すごい」人だと理由付ける一つの定規になっていた。

大量生産大量消費の時代である。

供給よりも需要が勝っていた時代。

 

いまはどうだろうか?

若者は消費をしないとあちらこちらで言われている。

本当にそうだろうか?

 

消費マインドの変化

今の若者はステータスに興味がなくなっている気がしている。

例えば、男のステータスだとされる車や時計。

この時代、交通網が発達した東京だと車を持つ意味はなくなってきて、逆に税金や駐車場代、管理費用が大きいため、デメリットのほうがメリットよりも大きいし、

時計だってスマートフォンの普及率が20代で80%を超えたと言われる時代にわざわざ時間を見るためだけに高いお金を払わなくなったのは当然のこと。

つまり、お金を「使わなくなった」のではなく。お金を「合理的に使うようになった」のでないか。

僕の周りでも昔のステータスと言われていたものにお金をかける人は多くない。

それよりも自分が好きなものに「しっかり」お金を使う人がたくさんいる。

それは消費の多様化であって、今までのようにマス向けに作っていれば、みんなが買う時代ではなく、

自分が欲しい機能が備わっているか、自分がこだわっている部分が搭載されているか、自分がかっこいいと思うデザインであるかという、ある部分に惹きつけるものがあるかでモノを買う時代になってきたということ。

消費(お金を使うこと)に対するマインドの変化である。

 

変わらない生産側

モノを作っている方はどうだろうか?

消費に対するマインドが変化しているにもかかわらず、生産側のマインドは変わっていない。大量生産をし、売れなければセールで売る。それでも売れなければ処分する。

最近、日本の各メーカーの不振がよくニュースになる。技術はあって良い物は作るが売れないが言い訳として定例化している。

不振の理由は昔からの習慣が抜けず、消費マインドの変化についていけていないからだ。

 

意味のあるものを、欲しい人だけに作る

今の時代、お金を使う用途は昔に比べて格段に増えた。

増えたことで、何にお金を使うべきか考えるようになった。

今まで当然のように買われていたものが、本当に必要なのかを考えるようになった。

つまり、自分にとって、意味のあるものなのかを無意識に考えるようになったのだ。

これからの時代に必要なのは、誰でも使えるものを作るのではなく、誰かに使って欲しいものをプロダクトすることだと思う。

これだから「使いたい!」「買いたい!」と思うものを作っていかなければ、売上は下がる一方だし、利益も減っていく一方だ。

今まで大企業のネームバリューがあれば売れていた時代から、そういったネームバリューではなく機能性やデザイン性で買う時代になってきているのだから。

 

それでは、また。

 

 

手に取りたいモノとは?

どうも、下田です。


今、僕らが生きている世の中にはたくさんのモノが溢れている。

その中には、高いモノもあれば、安いモノもある。

良いモノもあれば、悪いモノもある。


これから僕らが手に取りたいモノはどういうモノなのだろうか。

人の想いが込められているモノ。

僕はそう思う。


誰かを喜ばせたいという気持ちが人を豊かにし、世の中を豊かにする。


心のないモノを作らず、心のあるモノを作る。


豊かにするとはなにか。

それは人の想いだとつくづく思うよ。


それでは、また。

大切な面接の前日に。いつもの自分を信じる。

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

 

今年も就活の時期が来たらしい。

なんか1つアドバイスするならって思って考えてみた。

ってことで昔、教習所で卒検に落ちて補講をしている時に教員の人に言われた言葉を紹介する。

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なぜか、僕は卒検に落ちた。

そんな奴はうちのおかん以外にきいたことがない。

もちろん、一緒に行った2人は合格した。

相当なショックだった。松屋のカルビ定食も喉に通らなかったし、補講代を払う金もなかった。

でも、前科のあるおかんをなんとか説得して補講代を手に入れ、補講をした時のを話だ。

 

教員「下田くんは何で卒検におちたとおもう?」

僕「えっと、人を一人轢きそうになって、さらにサイドミラーを電柱に当てたからでしょうか?」

教員「いや、そうじゃなくて。もっと根本的な話。」

僕「そもそも運転するのに向いていないんだと思います。」

教員「関係ないから。真面目に答えて。」

僕「...わかんないいっす。」

教員「いい?下田君はさ、自分で自分を追いつめる癖があるんだよね。完璧にやろうとしすぎて、自分が出来ない事をやろうとしてるわけ。」

僕「はあ。。。」

教員「つまり、勝手に120%をだそうとして、勝手に自爆して失敗するの。」

僕「なるほど。」

教員「120%なんて普通でないの。だから出そうしなくていい。今までやってきた事を1つ1つクリアしていけば合格出来るから。100%をしっかり出せるようにしよう。」

僕「はいいいいいいいいいい!!!!!!!!」

 

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それで、次の試験ちゃんと合格できました。

なんかそのときに思ったのは、何でも準備の段階で結果はほぼ決まっているんだなってこと。

こういうことが起きたときは、こう対応しようとか、頭で考えるよりも体が反応するようにしておくことが、本当に大切なことだと思う。

まず、それができるレベルが高ければ100%じゃなくても80%でも、十分合格できる。もっと気持ち的に楽になる。(気持ちが楽になるってことはプレッシャーがなくなるからいつもの自分が出せる→結果、簡単に100%が出せる→いい結果が生まれる)

そして、絶対に120%なんて出そうしない。背伸びをしない(これをやるときは90%くらいうまくいかない確率が高くて、博打としてぶち込むくらい)。

ってか背伸びをすると不安定だよ。少し何かとぶつかったらすぐ倒れちゃう。

だから、しっかり自分の2本足で立って、

自分を信じて、いつもの自分で臨もう。

等身大の自分でしっかり面接官の人と、話す。

上っ面なことじゃなくて、心を込めた言葉を。

 

それでは、また。

僕が大企業に就職することを薦めない理由。

どうも、下田です。

昨日の続きを。自戒も込めて、淡々と。


1夢と現実は遠距離恋愛

→あなたは大きな夢と希望をもって会社説明会に行き、彼らが行っている業務に心を打たれ、OB訪問に行き、口からでまかせを言う先輩に会ってさらに心酔する。あなたにとって理想な会社像や先輩像を否定はしない。しかし、そもそもである。あなたが本当にやりたいことができる部署に行けるか、上司につけるか、という確率は低いのだ。それは入社したときだけに関わらず、それからの社会人人生でも非常に大事なことだ。もし、あなたが入社時には配属されなかったかもしれないが、そこで結果を出せば異動希望が通るのか。そういうキャリアプランはしっかりと用意されているのかも考えなくていけない。多方面からみればリスクの方が大きいかもしれないのに、あなたは見ていない。やりたいことに対してその選択肢が正しいのかをもう一度考え直してほしい。

2勢いに立ちはだかる高い壁

→組織がでかいため、何をやるにも遅い。そして多勢に無勢。もし、それが会社にとって大切なことだとしても完結させるのに大きな労力と打ちひしがれない強い心が大事になる。上司であったり、そのまた上司、チームメイト、財務部や経営企画部とか様々な人間を取り込みながら、稟議書やらの承認や決済というステップを地道に踏み、実行に移す。そのときにはさほど必要ではないかもしれないにも関わらず。。。でも、まあ多くの人はそれを完結する前に立派なカンパニーヒューマンになっている。

3出る杭は打たれる

→大企業というのは全員が優秀な人材とは限らない。なぜかというと、外資系のように成果が上がらなければクビになるという制度がないから。クビにするのはいつだって会社の業績が悪くなってからだ。入ったら勝ちに等しい気持ちで入ってきた会社にそんなに尊敬できる先輩がいるか?答えは否だ。これから君の前には50歳あたりのふらふらしてるジジイが仕事の成果とはさほど関係のないことで文句を言ってくる。説教をしてくる。間に受けると鬱になり、バカにとってはただうざい。

4ヌルい

→これからの人生でどうにかして、良い暮らしをしたいと思った時にあなたはどうするだろうか。そのときは周り奴らより、頭を働かせて、さらに質より量をこなして自分自身にインプットしていかなければ人に差をつけることなんてできない。そのときに、会社の空気は非常に大事なものだ。大企業に勤める多くの人は自分がやっている仕事で動く金を自分の金と思って仕事をしていない。赤字が出たとしてもそれは会社の金であって、自分の懐から出た金ではない。つまり、執念がないのだ。ここがヌルい。個人のキャッシュフローだろうが、会社のキャッシュフローだろうが無駄にしていい金なんてどこにもないのだ。そういう環境にいるといつの間にか自分も汚染されて、ふらふらしているジジイになる。

5会社の犬になる

→最終、会社の犬になる。平凡な毎日になにか良い事が起きないかと祈り、同僚と酒を飲みながら会社や上司の文句を言い合う。毎年少しずつ上がる給料に満足をして、めんどくさい仕事は後輩に振っていく。仕事のスピードが上がったのはあなたの成長ではなく、ただ仕事を覚えて効率が良くなっただけなのに成長したと喜ぶ。そうやって何年もして気付いた時には、入社したてのころにうざくて臭かった、1ミリも尊敬出来なかった先輩にあなたはなっているのだ。アーメン。

 

ここまで5つほど書いてきたが、うまく伝わるかはわからない。

だけど、言えることは僕たちが思う優秀な人というのは出る杭を打とうとはしないし、やる気のある若者を潰そうともしない。そして優秀な人が集まる会社というのはキャリアプランがしっかりしているし、自分の仕事や会社に誇りを持っている。

 

最後に、

大企業と呼ばれる会社がみんなこういう会社ではないということ。働きがいがあって、キャリアプランも明確で、動きが速い会社も多くある。大事なことはこういう視点をもってほしいということだ。「どのようにすれば、自分がやりたいことができるか。」に対して、どう自分のライフプランを立てるか。それこそ、会社に属さないという選択肢もある。自分の人生を作るのは経歴や見栄えじゃない。それはあなた自身の中身であり、心身の充実だ。

ただただ、安定や世間体で就職はしないでほしいと切に願ってこの題を閉める。

それではまた。