会社、辞めました(通算一回目)。その1

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。

ご無沙汰しております。

 

暑い日々が続き、外に出る気も起きないし、出来れば、家でクーラーつけて、ごろごろする日々を過ごせればなと思っている今日このごろ。

ええ、現実になりました(歓喜)。

 

2017年7月31日の今日は、家でクーラーを付けて、MACと相対しながら、このブログを書いているわけです。

 

自分でも先週末、会社を辞めて何を始めればいいか、分からないから、とりあえず、大学を卒業してから4年4ヶ月働いた会社での思い出をちゃんと書き留めておこうと思ったわけです。自分のために。

入社してから、会社を辞めた理由、そしてこれからの話。

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就職が決まるまでの流れは下の記事を。

 

とまあ、就職活動でうまくいった思い出なんかなくて(それは自分が就職活動を甘くみていたのが悪いのだけれど)、とりあえず楽しい会社に入りたいとか、海外に行きたいみたいな、子どもでも考えられるような動機で、いまの会社の前身の会社?に入りました(ここはすごいややこしいのでこのあとの流れで詳しく)。

飲み会要員としての1年目

仕事は出来ないが、人を楽しませるということを知る。

とりあえず、1年目は経理部に配属ですね(一応、アパレルの会社でした)。

そこで半年間、経理部に所属してその後ブランドの生産担当になるのですが、

1年目の思い出はただ、上司や先輩の取引先との飲み会に連れ出されて、芸をやり、一気飲みをして、潰れて先輩に抱えられながらホテルや同期の家に担ぎ込まれて。。。。の記憶しかないです。

きっと出来る人はここで「朝まで、また量をどれだけ飲んでも朝は必ず、出社する」と言うのでしょうけれど、僕はそんなことはなく、朝起きると11時過ぎで、午後出社することが度々。

だから1年目は仕事を覚えた記憶はあまりなくて、とりあえず上司や先輩に取引先との飲み会に行くというのが仕事だったかな。。。笑

(というか、そもそもこの会社で新卒で入ったのは僕らが初めてで、教育制度なんかなかったんですよ。仕事は自分でとって、勝手にやるみたいな感じだったし。でも、アパレルってなんか、飲み会が仕事みたいな風習あったんで、その現場に連れて行ってくれたのは最高の教育だったかもね。)

でも、そこでたくさんの人に会えたし、たくさんの人が笑ってくれたし、喜んでくれたし、やってるときは辛かったけど、今となっては大切なことを教えてくれた1年間だった気がする。

人を楽しませることって本当に大変だし、場数を踏まないと出来ないし、それが会社とか先輩のお金でできたのは本当に良い経験だと思うよ。それだけやっていたらくそ人間だけど。

 

中国研修の2年目

まあ、1年目からだったのですが、元々入った会社がアパレルだと中々大きな会社に買収されることになっていて、ばか騒ぎも出来ないちゃんとした会社に変わっていきました。

そういう流れになってくると酒の席でしか威力を発揮出来なかった自分のような人間は会社での存在価値というものがはっきりいってなくなります。

ちなみに1年目の後半〜2年目の前半はある30億程度売上のあるブランドの営業担当だったのですが、結果は散々たる結果でしたね。

売り上げはとれないわ、赤字は出すわ、納期は遅れるわ、そんな営業担当でした。あのとき関わった方には、いまでも頭があがりません。

そんなこんなで、2014年7月に中国に逃げ出します。そのとき会社には中国研修制度という、2年目の社員が半年間、生産現場である中国に滞在し、勉強をするという制度がありました。成績の悪い僕は逃げるように中国に旅立ったのです。。。

物を作るということを知る。

中国では、お湯でないとか、便座が冷たいとか、床に落っこちている野菜を炒めた料理や新鮮そうに見える刺身を食べてお腹を下すとか、生活面でのカルチャーショックがたくさんありました。

そんな中で一番、中国に行って感じた事は、今までの自分がいかに無知で、机上でものを述べていたのかを大きく痛感しました。

中国での6ヶ月は、毎日毎日いろいろな工場を回って服を作る現場を見続けました。
それまではミシンも中学の家庭科の時間で少しさわっただけだったり、服は簡単に店頭に並ぶものだと思っていたりして、結局、店頭に服を並ぶまでの工程を無視して、ただ「工場に納期を守れ」だの、「コストを安く」だの、「きれいな服を作れ」だの言っていました。

でも現場に入ると、短い納期の中で縫製している人や生地を作る人が、
夜遅くまでとか、月に2日しか休みがないだとかっていう環境で僕たちの服を作ってくれていることを知りました。

このときに、
日本の会社が大きな数量を発注する取引先だからという理由で、
現場を無視して、コストを下げ、無理な納期を強いているという状況をみると、やっぱり、もっと現場も気持ち良く仕事ができる環境づくりをしていかなければならないと柄にもなく思ったわけです。

あの6カ月で莫大な知識が得れたとか、一回り大きくなったとかそんなことは全くなかったけど、それでも、工場で工員さんと同じ御飯を食べたり、一緒に仕事したり、自分でシャツとかパンツとかマフラーを作ったりとかする中で、服作りの現場を知れたということが僕にとってのいまでも根っこにある大きな財産です。


これからももっと上辺の仕事や人間関係に囚われず、自分にとって必要なことはなんなのか、
何十年後に自分を豊かにすることってなんなんだろうって考えて生きていこうと思ったときでした。

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と、長くなってきたので、今日のところはここまで、続きは明日。

それでは、また。