福島出張 ~縫製工場についてちょっと~
どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
10/19~20で福島にシャツ工場の視察に行ってきましたので、そのことについて書こうと思います。
行き方
今回は三菱自動車の試乗キャンペーンを使って行ってきました。
初めての電気自動車だったのですが、静かで、乗り心地がよく、快適な旅でしたが、福島って遠い。。
2時間ぐらいで行けると思ってたんですが、首都高での渋滞もあり、3時間半もかかりました。
なぜ福島なのか。
なぜ福島まで行ったのか。日本にはたくさんの産地と呼ばれる場所が沢山あります。「今治タオル」で知られている今治産地も繊維産地の一つです。こういう産地が日本には多くあります。
その中で、福島は伊達ニット(編み)も有名なのですが、シャツの縫製工場が数多く存在する地区なんです。
縫製業界だと、「シャツを縫ってくれる工場さんを探している」といえば、その答えには「じゃあ福島だな」と返ってくるくらいです(福島の人はちゃんと覚えておいてくださいね、ままどおるだけじゃないです)。
みなさんが着ているワイシャツが日本製であれば、福島で縫われている可能性が高いですね。
というわけで、僕らも次のシーズンに向けてシャツの展開を考えているので、その縫製工場さん探しに福島に行ってきました。
縫製工場について
もう少し、縫製工場さんについて話すと、日本の縫製工場というのは伝統的に、アイテムごとに工場が作られていきました。
例えば、スウェットやパーカーを縫う工場、パンツを縫う工場、シャツを縫う工場が一つということはなくて、どれかに特化して縫製されているのが日本の縫製工場さんの特長です。
だから、福島に行けば、「シャツ一筋50年でやってます」という工場さんしかないので、スウェットやパンツを縫製することできないんです。
それはなぜかというと、まず技術的な面です。これは同じものを縫っているほうがどんどん品質が上がっていくということです。これはみなさんにもわかると思うのですが、一週間毎日違うスポーツをちょっとずつ練習するよりも、一週間毎日野球を練習するほうが、野球がうまくなるスピードは高くなっていきます。それと同じで縫製でもある日はパンツ、ある日はシャツを縫っている工場よりも毎日、何年、何十年シャツを縫い続けている工場さんの方がシャツをキレイに縫うという部分に関して言えば、優れているわけです。
もう一つの理由は、設備的な面です。みなさんの家にあるミシン。これは縫製業界だと「家庭用ミシン」と呼ばれていて、なんでも縫えるオールマイティーなミシンですが、なんでも縫える代わりに強度弱かったり、縫い方の制限があったりして、何年も着られる服を作ることはできないんです。そこで、縫製工場さんにあるミシンは「工業用ミシン」といって馬力も全く比にならないくらいものなんですね。縫い方は一つに一台用意されていて、縫うアイテムによって準備するミシンが違うので、全てのアイテムを全部作れる工場にしようとすると、資金が尋常じゃなくなってしまいます(一台30万とかなので)。少し、自分の服を見てみるといろんな縫い方があるのがわかると思うので、時間があるとき、見てみると面白いかも。
この2つの理由が縫製工場さんがアイテムに特化して縫製をしている理由です。日本には特化型の工場さんが多いので、品質が高いものができる=MADE IN JAPANの評価が高いということになっているのかと思います。
※日本以外にも中国、ASEAN諸国でも一つのアイテムに特化して縫製している工場さんもあるし、「何でも縫います」という言う工場さんもあります。国で品質が高い低いはあまりなく、経営者がどういうビジネスをしていきたいかが結構影響していると思います。
「少し汚いと気になっちゃって、すぐ直しちゃうんです。」
今回の伺った工場の技術主任の方がおっしゃられた言葉です。縫製って人力なので、縫製する人がどんな気持ちでその仕事をするかが本当に大事です。
この言葉の汚いって普通のお客さんじゃ、わからない汚さなんですよ。でも僕らが言われて初めて感じる縫製のミリ単位のズレなどが縫っている工員さんは凄い気になるそうです。
それは、技術に自信があるからだと思います。誰も気づかないかもしれないそのズレにプライドを持って縫っている人たちがいる。自分が追い求めている品質に対して厳しくて、そのズレを許すことができない。
縫製工場は生地を服の形に切る人、縫い合わせる人、検査する人、アイロンをかける人、そしてそれも管理する人。たくさんの人が関わってやっと1枚の服になるんです。
そこに関わる一人ひとりが誰か一人でも妥協をすれば、品質は落ちていきます。そこをどうやって全員で共有していくことができるか。それができている工場さんこそが、初めて品質が高いと胸を張っていけるんじゃないかと思います。
そういう人たちと仕事がしたいとしみじみ思いながら、帰路につきましたとさ。
それでは、また(腰が痛い)。
「触れる」ということ。
どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
僕らは今、いろんな服を作っています。
そういうときに思うことがあります。
「この着心地はめっちゃいいなあ。」
「肌触り、たまんないよなあ。」
「着てもらったら、絶対わかってもらえるのにな。」
触れる。
それは本当に大切なことだと思います。
今ではECサイトで物に触れなくても、物を買えるようになりました。
僕らみたいな小さいブランドはその恩恵に授かり、世界の人々に物を届けることができるようになりました。
でも、物を作っている人間として、買ってくれる人たちにもしっかりとものや背景に触れてもらって、その想いに共感してもらって服を買ってほしい気持ちもあります。
だけど、僕らには店舗なんて大それたものを持つことができないので、リアルにお客さんに触ってもらえる機会が非常に少ないです。
だから、そんな場所を探しています。
会社でもいいし、イベントでもいいし、どこかのコミュニティでもいいし。
僕らの服への想いに共感してくれる人々を触れ合える場所がほしい。
僕らは、特別な日に着るものではなく、気付けばいつも着ている、毎日に根付く服であり、尚且つ、いつまでも着られるシンプルなデザインと高い耐久性を兼ね備えている服を作っています。
そして、その向こう側には服を作るために協力してくれる人たち、それにかかっているお金。
そういうこともお客さんに知ってほしい。
そんなことを、みなさんと話すことができたら、なあ。と思うわけです。
ぜひそういう機会を作ってもらえる方がいらっしゃいましたら、連絡をいただきたいです。
それではまた。
下田
出来ないことを悔しいと思うこと。
どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
今日は雨模様だったので、ずっと家に籠っていました。久しぶりにテレビでも見ようかなってつけてみたら、一本のCMが....。
途中で三浦知良選手がボルダリングに挑戦するシーンがあるのですが、失敗します。
その後に
「悔しいですね。できないのが。」
って言ったんですよね。
そのときに自分に何か気持ち悪い衝撃みたいのが、走って、「最近の自分ヤバくないか」って思ったんです。
「まあ、このくらいでいいんじゃない。」一番危ない。
というのも、最近3人の仲間とアパレルブランドを立ち上げたのですが、なかなかスピーディーに動くことができていないような感じがしていてて、それは今までアパレルの生産管理しかやってこなかった僕が、
①10YCのターゲットとなるお客さんがどういう服がいつ欲しいのか。
②ニーズに合ったものを、どういうデザインで、どの生地屋さんや縫製工場さんで作るのか。
③自らの足で生地屋さんや縫製工場さんに行って、工場の人たちと話して、商売をしてもらえるか。(10YCのプロダクトポリシーとして自分たちが見た世界で物づくりをするというものがあります)
④その結果、それが◯◯◯◯円になった。それがお客さんが求める価値になっているか。
⑤価値になっているのであれば、どういうスケジュールで進行するのか。
などのプロダクトの話に加えて、
⑥じゃあその商品をどう販売するか(ECサイトなのか、店舗なのか)。
⑦ECサイトで売るための写真や文章をどう考えるか。カメラマンやモデルさんを使うのか。
⑧発注数をどうするか。それに伴う色・サイズ展開をどうするか。それにあたる販売計画をどう立てるか。在庫管理をどうするか。
⑨その販売計画を達成するために、どうやってお客さんに情報を届けるか。
のセールスのところまで(ここはあまりやったことが無い)を考えていかなくてはいけないわけです。
さらにいうと、給料や事務所の家賃、研究開発費などの費用がどれだけかかって最終どれくらい利益が残るのかを考えていきます。
途中から、もういいんじゃね?って思ってしまうことがあるんですよ。
「このくらいの写真でいいんじゃない?」思うことがあるんですよ。でもそれって、「このくらいの写真でいいんじゃない?(おれカメラマンじゃないし。)」っていう含みが入っているんですよね。
もちろん、リリース日などの兼ね合いで全部全部が100%の状態で出せることはほぼないです。でも100%を目指さないと、100%にはならないんですよね。
昨日のブログでも書きましたが、「カメラマンではないけど」はお客さんに関係ないんですよ。お客さんが物を買うときは色んなサイトを見て買うでしょう。その中で、ここの写真へたくそだなって思われたら、買ってもらえないんですよね。
こちら側は「俺はカメラマンではないから。。」でも、お客さんは「この写真だっさ。。。。」ってなるわけですよ。いくら商品が良くても!
悔しいと思わないと前に進まない。
三浦知良選手はボルダリングの選手でもないわけです。でも、できないことを素直に悔しいと思える。それが重要なことなんです。
悔しいから、次できるように成長したい。
何でも「〜じゃないから、〜できない」というのは簡単です。でもその「〜じゃないから」なくなったとき、本当にできるのでしょうか。
「学歴が低いから、出世ができない。」は学歴が高ければ本当に出世ができたのでしょか。何事も理由を付けてできないというのは簡単です。
そういう無駄な理由がいいから、純粋に悔しいとか、もっとうまくなりたいとかでいいんじゃないでしょうか。
へたくそって言われても、「カメラマンだから、できない」じゃなくて、「もっとうまくなれるように頑張ろう!」でいいんじゃないでしょうか。
自分にこの文章を言い聞かせながら、寝ることとします。
それではまた。
良い物を作りました!...じゃなく、ちゃんとお客さんが買うメリットを説明する。
どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
最近は会社を辞めてから、まず独立の第一歩となるクラウドファンディングを開始しました。
現在の時点で91名の方々にご支援いただき、また枚数としては100枚を超えました!
ありがとうございます!
8/31から始めたクラウドファンディングの中で、今見返してみて、やっぱり難しいなと思ったのは、ちゃんとお客さんに10YC Teeを買うメリットがなんなのかを伝えるということ、でした。 (まだクラウドファンディング終わってない終わってない!)
物作りしてきた人間が陥る落とし穴に見事に落っこちる。
僕は4年とちょっと、アパレルブランドで物作りをしてきた人間なので、すぐ「この糸を使うと柔らかくて風合いがいい」とか、「この編み機を使用すると空気を含んで洗えば洗うほど味が出てくる。」とか、「この縫い方をするとストレスなく着られる」とか、そういう物作りのうんちくを語りだす癖があります。
そう、自分で作ったものだから、すぐ話したくなっちゃうのです。
でも、それって買ってくれる人にとって何の意味があるのか。
今見返すと、書いてはあるけれど、そこにあまり目が向いていないんですよね。
ただ、自分がこう考えて、物を作りました!それがこれこれこうで、だから、かくかくなになにです!
で、買ってくれるでしょ?(LINE脅し)
みたいな感じになってしまっていました。関係者の方々には深くお詫びします。
人に物を買ってもらうとは。
人にお金を出して買ってもらうということは、毎日毎日朝から会社に行って、そして残業をして、嫌な思いもして稼いだ給料を自分が作ったTシャツに使ってもらうということです。それはそれは本当にありがたいことです。
7,000円のTシャツって安くないんですよね。近くのお店に行けば、2,000円とか安いと1,000円代で売っているものもあります。
そんな中で、僕らのTシャツを買おうとしてくれる人たちが、納得出来るように説明出来ていたか。。。。
(もちろん、10YC Teeを作っていただいた工場さんの想い、僕らが10TC Teeに込めた想いというのも本当に大切なことです。その想いがなければ、10YC Teeが作ることができなかった。)
お客さん目線で説明してみよう!
いまから練習で、物作りのうんちくを挟まずに、10YC Teeのメリットをお客さん目線で伝えます!
①着心地が良い!!!!!!!!!!
②耐久性のあるTシャッッッッッッッッ!
以上、2点です。
それを実現するためにたくさんのうんちくをふんだんに込めました。
着心地がいいから、気付けばいつも着ているような、毎日に根付く、どこに行くときにもなぜか着てしまう。
耐久性があるから、それが長く着られる。
10YC Teeを着てくれた人の毎日が、少しワクワクする。なんか元気の出ない朝も10YC Teeを着れば、少し上を向ける。そんな服になるように想いを込めて作りました。
まだまだ、クラウドファンディングは実施中です!本当にご支援お願いいたします!
10YCの想いや立ち上げようと思ったきっかけ、コンセプト、プロダクトポリシーも徐々に伝えていければいいなと思います。
それではまた。
下田
自由に生きたいけど、踏み出せない人に読んでほしい。「ピンヒールははかない」
どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
最近は暇なので、Twitterに滞在していることが多いのですが、先日、勝手ながら「うわ、わかる!」と共感してしまった記事に出会ったので、そのことについて書きます。
生きるって簡単じゃない。だからこそめいっぱい走ろう、私たちはひとりじゃないから|『ピンヒールははかない』著者・佐久間裕美子 | 灯台もと暮らし
この記事を読んで、今すぐに本を読まなくてはいけないという衝動に駆られ、近くの書店にタタターと向かい、買ってしまい、昨日未明に読み終わりました。
前々から自分自身、 今の世の中がどんどん生きづらくなってきていて、もっと自由な生き方ができていければいいな。と思っていて、
「ピンヒールははかない」には、自由に生きるために迷いながらも決断していく姿が描かれていて、大変そうなのだけれど、でも肩肘張らずにしっかりと立っているその姿(見たことはないけど、きっとそう)は、勇気づけてくれました。
自由に生きるということは簡単なことじゃない。だけど、それはみんな同じように戦っていて、なんとなく、一人じゃないんだって感じさせてくれました。
この本から心に響いた言葉を紹介しながら、その感じたことを伝えらればいいなと思います。
誰かと比較しない。自分は自分。
正解がなくなってきている、そしてひとりでも気持ちさえあれば、挑戦していける世の中になって、自由になったかのように見える。しかし選択肢増えたからこそ、生きていくことはより難しく感じるようになったと思う。今までの幸せだと思われていたことや当然だと思われていたことが壊れていって、何が「幸せ」なのか「正解」なのかが分かりづらくなっている。
「幸せだって思われたい」
自分の心と付き合っていくだけでも大変なのに、その幸せが他人に紐付いているなんて、なんと恐ろしいことだろう。
学生時代からの友達、会社の上司や同僚と比べて、「誰かより幸せでいたい」想いが強くなっている。ましてや、今は会ったことのないFacebookやInstagramに出てくる友達の友達までもが比べる対象になってきている。
情報が入ってくるのサークルがどんどん広がるにつれて、比べる対象が増えていって、「誰かよりも幸せでいたい」の誰かが増えていって、苦しくなっていく。
それが今の世の中で「幸せ」になることを難しくしていると思うのです。
僕も先月会社を辞めましたが、そこで働いていたときも、誰かと比べられてきました。
それが同期であることもあったし、同じ立場の先輩だったことあったし、「過去」の上司だったこともありました。
最初は、誰にも負けないという想いで、仕事に打ち込んで、「この会社で一番になりたい!」「売上で一番になる。」「納品する型数で一番になる。」一心で働いてきました。
だけど、「それって意味あるのかな」ってふと思ったんです。
売上で一番になった先に見える世界って何なのだろうって(売上で一番になったこともないくせに!)、見えなかったんですよね。
やっぱ自分ににとって大事なのは、人に勝つことではなくて、自分のやりたいことをやると決断するということだったんです。
結婚することも、しないことも、子供を持つことも、持たないことも、自分で決断すればいい。「これが幸せへの道」というほど単純なものではないのだ。
問題は「自分の道」を見つけることだ。可能性は無数にある。だからこそ、デザインするのが大変なのだけれど。
自分の人生で何をやりたいかとか、どう生きていきたいかとかって見つけるのが難しいことだと思ってて。
だからこそ、人は「誰か」と比べて、自分の人生をデザインしていくのではないのかと思うんです。きっと、楽だから。
でも、楽していると、いつか自分に返ってくる。それが今の世の中の蔓延しているこのギスギスした苦しみなのかなと。
自分と向き合うことって辛いことが多い。過去の失敗や自分の欠点を書き出していったりすると、げんなりする。
でもそれが、今の自分の「本来の姿」だから。「本来の姿」を全部認めて、その上で等身大な自分と向き合って、人生をデザインすることができれば、きっとワクワクする楽しい日々が送れると思うんです。
人生ってひとりだけど、ひとりじゃないってことを教えてくれる
矛盾している言葉だと思ったのだけれど、多分これが読んで感じたこと表している。
人生は、与えられたときはまっさらなキャンバスで、人や環境に色をつけたりしながら描いていくプロセスだ、やり方は何万通りでもある。その中で、何が自分にとって正しいのかを探りながら、自分と向き合っていくのは簡単じゃない。でもその過程で起きる葛藤や苦悩は、みんなが経験していること。
「本来の姿」と向き合うこととかってやっぱり気が滅入ることだから、ワクワクする前に向き合うのを辞めてしまう人もいる。
そういうときって、「ひとり」で考えてしまうから。
でも周りにも向き合っている人たちがいて、考えなきゃいけないことは「ひとり」だけのことなんだけど、考えている人は「みんな」なんだってことを知ってほしい。
現実と理想の狭間で悩んでいるのはあなただけではないんだよ。
みんな、色々ありながらも自分らしく生きようとしているんだよ。
その「仲間」感をすごい大切にしてほしい。
この文章には続きがあって、
We have each other.
お互いそうやって考えている。だからあなたも怖がらず前に進もうって思える。
毎日毎日、苦しみ、悩みながら、みんなその中で決断している。自分が決断したことに対し1つ1つの結果を見て、また悩んだり、後悔したりする。誰かに相談しながら、答えを探し続けている。人生はそんな感じだ。
だから、自分のために生きるってひとりよがりで、孤独に聞こえるかもしれないんだけど、人と比べて生きることよりもずっと素直で、美しい。
そんな風にみんな暮らしていけたらもっと、楽しい世界になると思いました。
自分の思いのままに生きる。を感じてほしい。
ニューヨークに住んで20年の著者が、その生活の中で関わった人たちの話を聞きながら、色んな体験談などを交えて進んでいくこの本。
紹介した言葉以外にも、恋人との別れや結婚、出産をした人たち、しないと選択を人たちに共感する言葉がいくつもありました。
どれも正しいし、美しい。
そんな言葉の数々をぜひ堪能してください。
それではまた。
何故、人は弱みに目を向ける?
どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
昨日、ちょっとした送別会を開いてもらって、
そのときに出た話について少し書いてみようかなと思います。
たまたま、この間Strengths Finderとなるものをやって面白かったので、その話をしたところ、先輩から「今の会社でもやったよ〜」という返答か返ってきたので、「え、導入されてたの?!」とおもいました。
https://www.gallupstrengthscenter.com/
Strenghs Finder をやって自分の強みが5つ出てきて、「うわ、そうなんだあ」と思って楽しかったので薦めたのもあるのですが、
もっと楽しいと思ったのは人の強みにフォーカスして人員配置をして、組織のパワーを上げていこうという考え方ですよね。
そもそも人には得意分野と不得意分野がありますよね。その二つの面が見えているときに、①得意分野を伸ばすのか。②不得意分野を克服するのか。という選択肢が出てきます。
学生の頃の部活とかでもそうですよね。野球だったら、足は速いけれどバッティングは得意ではないという選手がいた場合、①ストロングポイントの足を極めて、最強の1番バッターになるのか、②ウィークポイントの打撃を改善して、とりあえず平均的な7番バッターになるかという、選択ができるわけです。
その選択が内(選手自身)が決めるのか、外(監督)に決めるのかによって、人生は大きく変わるわけですが。。。
先輩の話の続きに戻ります。
それは1つのグループ内(20名程度)で実施されたそう。
みんなの結果が出てきて、上司がその結果を見て、先輩に行った言葉が、
「OOは、確かにこういうところが弱いんだよね。すっごいわかる。」だったそうです。(Strenghs Finderには弱みも出してくれるプランもあります。)
笑っちゃいましたよね。
そもそも名前が“Strenghs Finder”ですからね。決して“Weakness Finder”じゃないですからね。。。
まあ、その上司は選手の強みを最大限伸ばす指導ではなく、弱みを克服して平均化していく指導をする監督タイプだったのでしょう。
弱みに目を向ける人たち
弱みとは人として、苦手なことだったり、触れてほしくもない部分だったりするわけです。苦手なことってそれをやろうとしようするだけで吐き気がするし、モチベーションが下がるじゃないですか。
なぜ、それを人にやらせようとするのか。
人の弱いところに目を向けて、「あの人はこれができないからねえ。」なんて言っている人たちを見ると、本当にやめてくれって思うわけです。
だいたいこういうことを言っている人たちって、自分が「当たり前にできなきゃいけないことができている」という前提で、目の前の人が「当たり前のことをできていない」姿を見て言うわけです。(そもそもできていないのに、あたかもできているかのように発言する人もいる。これが一番たちの悪い人。)
まず、
①当たり前というのは、「あなたにとって」の当たり前であって、「その人にとって」の当たり前ではない。▶︎価値観の押しつけ。
②自分よがりな「当たり前」を押し付けることによって、自分は出来ているという環境を作る。▶︎優劣をつけ、自分が上、部下が下という序列を作る。
この二つが発生する組織にいると、判断される指標が少ないので、1つの指標ができなかったりすると、「できない人」としてレッテルを貼られるわけです。
だから、仕事がつまらない。
そんな、自分が不得意なことをやらなきゃいけない組織って本当に辛いわけです。ピーマン嫌いな人が毎日無理矢理、ピーマンを口にぶち込まれるのと同じです。
そういう環境が続くと、「上司の言う通りにやっているのに売上があがらない。」とか「自分の思い通りにやらせてくれない上司が悪い」などの不平不満が噴出し、組織として成り立たないという悪循環に陥っていく。
あっちでは「部下が指示通り動かない」と、こっちでは「上司の指示が悪い」なんて状態になっていくんですよね。
結果、チームとして成果が出ればいいじゃん
僕は、「自分に出来ないことをできるような人」「自分が間違っているときに、真っ正面から正してくれる人」と仕事したいと思っています。
(できないことや間違っているということを認めないときももちろんあります。)
チームというのは、野球とか、サッカーとかと一緒でポジションによって役割があります。その1つ1つの役割を「得意な人、好きな人」に携わってもらえれば、それほど楽しいことはないのかなって純粋に思うんです。
点をとることが得意な人にはフォワードをやってもらって、守備が得意な人にはディフェンスダーをやってもらう。
それと同じように会社のチームでも役割に合わせて人を配置する。
そうすれば、働いている人も楽しいから頑張るし、だからチームの成果も上がるだろうし。結果みんなが楽しく働ける会社って出来るんじゃないかなあって。
というか作らないと日本に会社も働いている人も潰れていってしまうんじゃないかって思うんだけど。
だから、チームリーダーにとって、一番大事にしなくちゃいけないことは「誰をどこに配置するか」ではないかと。
一番始めのそこの部分を疎かにすると、後々痛い目に合うので自分だし、会社なので。
そんなことを前の会社を思い出しながら、感じました。
Strenghs Finder自体やってみると面白いので、やってみてもいいと思います。
それでは、また。
アパレルブランドを立ち上げる。共に育つ服を作るブランドを。
どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
アパレルブランドを立ち上げる。
それが僕が会社を辞めた意味でした。
生産枚数>消費数量の現実
いま、世の中には無駄な物で溢れ返っている。
誰かが必要としてくれているもの以上に、物が作られている。
ことアパレルに関していえば、年々生産枚数は増えているにも関わらず、消費枚数は年々下がっている。
とりあえず作り、とりあえず店頭に並べる。
セールで叩き売り、売れなければ燃やす。
それが常態化している。
それでいいのだろうか?
もっと物って大事にするものではなかっただろうか。
買ってくれたお客さんの顔を想像しながら、大事に大事に作るのが、「服を作る」ということだったはず。
今は、ただ作ることが目的になっている。
作ることが目的になっているから、何も伝わらない服が売られている。
とりあえず、世の中で流行っているものを作っているから、どこにいっても同じような服が並んでいる。
つまらない。
そう思うから、お客さんが服を買わなくなったのではないだろうか?
私達自身がそういう時代を作ってきた。
僕が小学校のころから、買いやすい価格で服を販売する量販店は街中にたくさんあり、そこで服を買い、飽きたら捨てる、しみが付いたら捨てる、サイズが合わなくなったら捨てる。
常に新しいものに買い替えるという環境で育ってきたのである。
そういう服の買い方をした結果、この20年の間、服の概念が「耐久消費材」から「一時消費材」になってしまったのである。
「この服だから買いたい。大事に使いたい。」から「この服でいいや。汚れたら買い替えればいいし。」に変わっていってしまったのである。
全てを否定するつもりはありません。
大きなビジネスを展開してきた彼らは、人々に手に取りやすい価格で商品を作り、人々に喜ばれています。
そして、大きな企業として、雇用を生み出し何千人という社員を幸せにしています。
ビジネス的にも社会的にも大きな貢献をしています。
だからこそ、あなたと共に育つ服を作りたい。
僕らは自分たちが作った商品を1年で捨て欲しくない。
何年も何年も着てもらって、どんどん良くなる服を自分だけの物にして楽しんで欲しい。
手に取った人たちが、10年後も同じ服を着て、胸を張って街を歩ける服を作りたい。
着れば着るほど、自分だけに合う服を作りたい。
ともにあなたと育っていく服を作りたい。
10年後、その服を見て「あの頃」を思い出せる服を作りたい。
最後に
世の中のトレンドに左右されることなく、一心に物作りに励み、
僕たちは物を作るということを再定義し、
目の前の価格よりも、買った後の喜びに目を向け、
あなたの人生に寄り添う服を作る。
「本物」だからかっこいい。
それは服だけではない。
それではまた。