記憶は風化する。

どうも、下田(@shotarouzaemon)です。
 
今日というに寄せて。
何事も時間が経つごとに記憶は風化する。それが、たとえ、世界を巻き込んだ戦争でも未曾有の大震災でも。
何故だろうか。
多分それは自分が目の前で経験したことがないから。
オレだって戦争はやってはいけないことだって頭ん中では理解してる。でも70年近く前の世界を巻き込んだ戦争だって、いろんな国で起きている紛争だってオレは目の前で経験してない。だから、自分事に考えようと思ったって、全然イメージできない。
 
だから今日もそう。
未曾有の大震災といわれる災害が起きて4年。
でも、今日という日はSNSで見かけたときに「今日はその日だなあ」と思うけど、黙祷もしてない。もはやしたくない。
 
なんでもそう。
両親が亡くなって辛い人の話も、知らない誰かに誰かが殺されたってニュースもおれはわからない。
上辺で悲しそうな顔したり、「ご冥福をお祈りします」って言ったり、できない。
だってその人が感じてる想いとは遠く離れたところにいるから。
 
人は自分が見て感じたものを、体験して感じたものを覚えている。
でも世の中にはその経験をしていない人がたくさんいる。
そういう人の中からは、世界的にいくら大変なことだって風化していく。
そういうもんだ。
 
オレだって中国に行って、住んで感じたことはたくさんあって、今でもたまに思い出すけど、見たこともないイメージだけのことはあまり思い出さない。
 
だから、人は同じ間違いを繰り返す。
同じ失敗を繰り返す人がいる。
それはきっと記憶が風化しているからだ。
自分の目の前で起きたことなのに自分事で考えていないからだ。
 
自分の目の前に起きたことの記憶でさえ風化してるっていうのに、
昔起きたことに対して風化しないわけない。
 
だからきっといま、日本で戦争を体験したのは70歳以上、記憶として鮮明に残っている人は85歳以上だろう。
どんどん、年が経ていくごとに、体験をした人の数は減っていく。
そして、30年くらいたって体験をしたことがない人が大半を占めたらー。
 
 
では同じことを繰り返さないようにするにはどうするか。
残すことだ。
なぜ、人は原爆が落ちた日はしっかりと覚えているのに、東京大空襲の日は覚えていないのだろうか。
たぶん、残っていないからだ。
東京の街は焼け野原から見事に復興を果たし、高層ビルが立ち並ぶようになった。
暮らしは豊かになったかもしれないが、大事な記憶を地下に埋めてしまった。
だからもし、4年前の今日のことを知っておいて欲しいのであれば、残すべきだ。
残して、人を訪れさせ、忘れさせない努力をするべきだ。
誕生日みたいに一年ごとにみんなでバカみたいに「ああ思い出すだけでも悲しい」とか言ったり、「検索は応援になる」とか意味のわからないキャンペーンに参加する前に、毎日その日のことを思い出させるようにするべきだ。
それが嫌なら、東京と同じように悪夢を地下に閉じ込めればいい。
そのうち風化していく。
 
それでは、いつかまた。